ルクソール駅に到着してホームへ出ると、灼熱の太陽と熱風が体を包む。時刻は正午。
噂通り、駅のホームではたくさんの客引きがしつこく声をかけてきた。
旅行者が街に入る前に、自分のホテル、遺跡見学ツアーを申し込ませる為に客を捕まえに来ているのだ。要は「仕事」なのでみな必至に勧誘してくる。「客を捕まえるまで帰ってくるな」とでも言われているのだろうか。
僕は客引きを全部無視。泊まる宿は既に決めていたからだ。
とりあえず駅を出て、イッサラームホテルという日本人バックパッカーご用達の安宿へ向かった。
この宿には面白いエジプト人の従業員がいた。名前は ” ケンジ ”
いつからか、宿泊客の日本人に命名されたらしく、自らそう名乗っている。
彼はいくつかの日本語しか知らないが、口癖は「まじっすか!?」だった。
日本人同士の会話を聞いて覚えたらしい。これだけは発音も日本人並みにうまかった。
黒人並みの褐色肌をした生粋のエジプト人がこれをまじめに言うとなんともおかしい。
早速ケンジに「何泊するんだ?」と英語で聞かれ、
「とりあえず2泊」と英語答えると、
「まじっすか!?」と日本語で返してくる。
その言い方にもちょっと腹立つが、ひょうきんで面白い奴なのでついつい許してしまう。気付いたらいつも僕の部屋の中で居座るようになってしまった。さすがに貴重品があるので出て行ってくれ!と言うと「まじっすか!?」と日本語で返してくる。こんな調子が続いた。
その他、「タナカ・マキコ」とあだ名を付けられた、中年太りのボサボサ頭で無口の男性スタッフは、エジプト人なのに本当にタナカマキコ本人にそっくりだった。彼が立っているだけで場が明るくなった。そんなスタッフ達とすぐに仲良くなっていった。
ケンジにしつこく遺跡ツアーを勧誘されたが、一人で行きたいので自転車をレンタルする事にした。
日中は余りの暑さで観光に向かない為、翌朝の涼しい時間帯に出発する事にした。
翌朝7時。20人程度乗れる中型ボートでナイル川を渡った。
自転車もそのまま積み込んでOKだった。地元の人は生きたニワトリだの、でっかいズタ袋を頭の上に載せている。
目的地のハトシェプスト女王葬祭殿へ向かって、朝日を背に受けながらペダルをひたすら漕いだ。
長い1本道を進んでいくと、田園風景と気持ち良い風が流れた。
色々な景色に出会いながらようやくハトシェプスト女王葬祭殿まできた。
この遺跡内部には入らず、目当ては遺跡上の岩山に登る事。なんでも景色が良いらしい。
自転車を入場口の脇に停めさせてもらい、遺跡の横から砂利の急坂を登り始めた。
登り始めるとすぐに汗ダラダラ。砂煙がひどく常に喉が渇いてしまう。
ロバを引き連れた一団が突然斜面をかけ降りてきたので砂煙がさらにひどくなった。
坂を上がると次第に葬祭殿が小さくなり、遺跡の全貌も見えた。
そして、遺跡の後ろの崖の上に豆粒のような人間が見えた。さらにその上まで行くのか。。まだまだ遠いな。
持参してきた1リットルの飲料水もあっという間に無くなりそうだっだ。
しばらく歩き続けてついに崖のトップまで登りつめると、壮大な谷が広がっていた。
眼下に見えたのは、ツタンカーメンの墓がある王家の谷だった。
エジプト文明では、ナイル川を挟んで日が沈む西側を死後の世界と考えており、
葬祭殿や王家の谷を作ったとされている。
こんなごっつい岩山に囲まれた谷なら、墓を作りミイラを埋めてもそう簡単には発見されないだろう。盗賊からも守れそうだと古代人の知識に納得。でも僕はこんな所で生活はしたくないとも思った。
僕と同じようにツアーには参加せず、
この暑いなか砂交じりの崖を登ってきた変わり者の旅行者が他に2人いた。
王家の谷を眺めながら、暑いね、、しか話さなかった。
せっかくルクソールまでやってきたのに、遺跡の周囲まで自転車で訪れただけ。暑すぎて水も無くなり今日は帰る事にした。
翌日、街の東側にあるルクソール神殿、カルナック神殿を見にいった。
立派な主柱には彫刻が彫られ、天を突き刺すようなオベリスクが印象的だ。
ルクソールの街ではしつこいエジプト人の客引きとよく喧嘩した。
俺の馬車に乗ってけだの、ボートに乗らないか?お土産を買え買え!とみんなが余りにしつこいので、一喝すると向こうも怒って言い合いになってしまう。
やれやれ、疲れたので冷房の効いているケンタッキーフライドチキンでデザートでも食べようかと思えば、会計時に店員に「そのボールペンをオイラにくれ」としつこく迫られ、宿に帰れば ” ケンジ “が「あと1泊してけ」としつこい。
これなら最初からツアーを申し込んでエアコンバス・ガイド付きのVIPな遺跡巡りをしとけばよかったかな。
しかも、現在ルクソールは街全体を上げての大工事中だった。砂道をアスファルトの道路にしたり、街灯を設置するなど、どこを歩いても道はデコボコで散歩には向かない。ドリルの工事音と砂埃が日中止む事はなかった。
それでも日が暮れると涼しい風が流れ、毎晩果物屋で買ったマンゴーが格別に甘くておいしかった。
エジプト人との言い合いも少し慣れ、それなりに街に溶け込んであっという間に3日が過ぎてしまった。そろそろカイロに戻らなければ。特に日程を急いでいた訳では無いが、同じ街にゆっくりと腰を降ろすつもりもないので、翌日発、カイロ行きの列車切符を買った。
カイロに戻ってからは、エジプトの最西端、リビア国境手前にある砂漠のオアシス、「スィーワ・オアシス」を目指すことに決めた。エジプトでピラミッドの次に訪れてみたかった場所だ。
これでしつこいケンジともうお別れだな、と思うとちょっと寂しかった。
宿を出る時、じゃあね、と声をかけるとケンジは日陰で寝ながら手を振ってくれた。
「断食中は何もしないよ、動くと喉が渇くからだ」と言っていたのを思い出した。
エジプト その6へ続く
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