エジプト2 ラマダーン(断食)の始まり

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エジプトの物価は驚くほど安く、飯もうまかった。

食事は30円~200円もあれば十分満たされ、食後にはフレッシュジューススタンドへ毎日通った。こんなに濃厚で甘いマンゴージュースは飲んだ事がない。うますぎる。
さとうきびジュースやバナナジュースもかなり飲んだがマンゴーがダントツだった。
どれも1ポンド(20円)以下だから続けて2杯飲んだりもした。

毎日通ったジューススタンド マンゴージュースが濃厚でうまい
毎日通ったジューススタンド
大量のマンゴーがぶらさがっている

毎日の食事が楽しみで金銭的にも苦労はしないだろう。
しかし。
そう思ってられたのも最初の2日間だけだったのだ。

国民の90%以上はイスラム教徒だ
国民の90%以上はイスラム教徒だ

毎年、イスラーム暦弟9月にあたる月は30日間、ラマダーンという断食が始まる。
日の出から日没まで飲食を完全に断たなければならない。厳格な人はツバを飲むのもたばこを吸うのも禁止だ。世界中のムスリム(イスラム教徒)はこの苦行を行う。

貧しくて何も食べる事のできない苦労を体験する為とか、この苦行で本当に神をおそれかしこむ気持ちが持てるなど参考書には諸説書いてある。
ムスリムじゃない僕は当然ラマダーン中でも食べる事は許されている。
しかし昼間は飲食店がほとんど閉店。旅行者は食べる事はできるけど、食べる場所を失ってしまうのだ。

タイミングはどんぴしゃだった。エジプト到着3日目からこの断食、ラマダーンが始まった。
(出発前からこの日程はわかっていたんだけど甘くみていた)
昨日まで街中あちこちにあったコシャリ屋も日中はほとんどシャッターを閉めてしまった。

断食に備えて野菜を買い込んだ
断食に備えて野菜を買い込んだ

サファリホテル滞在中の旅人達は、毎日日本食やパスタなどを自炊していた。
日本を飛び出してまだ3日目の僕は自炊よりエジプトの地元料理が楽しみで仕方ない時期だった。

高級ホテルのレストラン、ケンタッキー・ピザハットなどの大手外食産業は「ウチは関係ないです」と言わんばかりに朝から開店していたが、僕はエジプトに来てまで米国ジャンクフードを食べる気にはなれなかった。

仕方なく昼間はアエーシ(エジプトの平たいパン)とピクルス、チーズ等を買って部屋で食べる、という生活になってしまった。

ハーンハリーリ広場
ハーンハリーリ広場

日中の気温は約35度。雨など降らず毎日晴天。街を歩けばすぐに喉が乾いた。
水を飲むのも我慢しているイスラム教徒達で満員のバスや電車。
水のペットボトルを持っているとみんなの視線をやたらと感じる。僕だけ公然と水をガブガブ飲む訳にもいかず、周囲を気にしながら隠れて飲んだりと一応気を使った。

ついつい裏路地を歩いてしまう
ハーンハリーリの裏路地

日没後、午後6時くらいにこの規律は解かれ、最初の食事(イフタール)が街中で始まる。
断食と行っても日中だけなので、日没後は盛大に食事を楽しむのだ。

道端にはテーブルと椅子と食事のセットがずらりと並べられ、すでに満席状態。
人々は生ツバ飲みながら、目の前の食事をいまかいまかと待っている。
そしてどこからか聞こえる「合図」と共に、待ちにまった食事を神に感謝しながら一勢に食べ始めるのだ。

毎日こんな調子なので、日没後の食事までになんとか家に帰りたいとみんな必死だ。
喉もカラカラ、腹ぺこ状態での帰宅ラッシュ。ただでさえ秩序のない運転マナー。クラクションが街中で鳴り響く。
「ラマダーン中の夕方の交通渋滞は地獄」とガイドブックに書いてあるのは本当だった。

しかし、あれだけ大渋滞だった街も食事中は車1台も走らなくなる。
後に訪れたアレキサンドリアという街では、食事中、公共バスや電車までもが止まっているのを見た。

ミナレットの上から望むカイロ市街
ミナレット(モスク内に必ずある礼拝時間を呼びかける塔)の上から望むカイロ市街

そして食事終了後、街はお祭りのように騒ぎはじめる。
子供から大人までみんな遅くまで外を練り歩く。
お酒が一切禁止であるイスラム圏の人々は甘いものが大好きだ。
お菓子やアイスクリームなど食べ、日本の縁日のように子供達ははしゃぐ。そして帰宅後、日の出前に最後の食事をとり、朝からまた断食が始まる。

今日から30日間、旅行者である僕にもラマダーンは大きな影響を与えた。

市場はいつも賑わっていた
市場はいつも賑わっていた

 

ズェーラ門
ズェーラ門

イスラム教徒は1日5回の礼拝が義務付けられている。
礼拝の時間になると、数あるミナレットから大音量でアザーン(礼拝を呼びかける言葉)が街中に響く。異国情緒あふれる呼び声は中東独特のメロディに聞こえ、イスラム圏にいる事を実感する。でも毎朝枕元に響く朝一番のアザーンはさすがにうるさかった。

僕が滞在していたサファリホテルの隣はイスラムモスクだったのだ。
サファリホテルの窓から下をのぞくと、絨毯の上に子供から爺さんまで多くの人がひざまづき、頭を地面にこすりつけ、メッカ(サウジアラビアにあるイスラム教聖地)の方向へ礼拝をしていた。

この礼拝を毎日何度も眺めているうちに、不思議な事に徐々に僕の体に浸透してくるのを感じた。整った姿勢、全員揃った動き、一斉に祈る姿は美しさも持ち合わせていた。

イスラム地区の裏路地
イスラム地区の裏路地

ホテルから歩いて1時間、イスラム地区(旧市街)の方へ行ってみた。
この辺りは街そのものが世界遺産になっているため、イスラム建築群に囲まれタイムスリップしたかのような散歩が楽しめた。

歴史あるミナレット
歴史あるミナレット
カイロは茶色で汚く、そして歴史ある美しい街だった
カイロは茶色で汚く、そして歴史ある美しい街だった

 

さて、物価と周辺の地理は大体把握できた。
やらなければ行けなかった事もう一つ、「国際学生証」手に入れる為、地下鉄で郊外へ向かった。

僕は全くもって学生ではなかった。でもカイロでは学生証が無くても本物を作ってくれるという情報を以前旅人から聞いた事があった。もちろん正式な行政の発行センターのものだ。

国際学生証があると、観光施設・遺跡入場料が全て半額になり、長距離列車も割引になる。
エジプトは安い物価の割に、外国人に限り遺跡等の入場料が異常に高いのだ。

サファリホテルで聞いてみると、すでに3回挑戦して全て断られていた人もいた。
(この人は見た目が完全におじさんで僕にも学生には見えなかった)

運転免許を見せても今では通じないと教えてくれた。念の為持ってきていた僕の運転免許証は早くも用済みになってしまった。

髭を剃り、髪を整え、カイロの写真屋でスーツと合成した証明写真を作り、ダメもとで申請しに行ってみた。

「アッサラーム アレイコム」(こんにちは)
と行儀よくお辞儀して申請用紙を下さいと言うと、

「学生書見せて下さい、あなたはどこの学生ですか?」と聞かれた。

「学生証は日本に忘れました。KANAGAWA Art University です。」

と、とっさに作った名前を答える。
” Art “(芸術大学)で作っておくと、特にヨーロッパの美術館などで割引きが利くと聞いた事があったからだ。今回ヨーロッパは行く予定は無いが念の為そう答えておいた。

「10分程お待ち下さい。」と言われ、申請用紙、写真、指定金額を払う。
あっさりと写真付き本物の国際学生証が発行された。
しかし学生証を持ってないと言う理由で、使用期限は1年間のみだ。

これで僕はエジプト中の遺跡入場料が半額になり、列車も割引が効く事になる。さらに後に訪れたシリアやパキスタンでもこのカードは大活躍してくれた。

鉄道のチケット売り場や遺跡の入場口で、これでもどうだ!と威風堂々、学生証を目の前にかざす水戸黄門の様な変な癖がついてしまった。

この3日間で物価も大体把握できたし、国際学生証も手に入れた。準備は整った。

旅のはじまり。いよいよピラミッドへ向かう事にする。

エジプト その3へ続く

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